vol.17

縄文人の食べ物
表紙に書いてある記事のタイトルに目が止まった。縄文時代のグルメとはどんなものか?一体何が発掘されたというのだろうか?
 それは「縄文クッキー」というもので、現在の菓子のようなものではなく、動物の肉や木の実をすりつぶして丸めて焼いたものらしい、と書いてあった。
 さらに気になったのは「縄文なべ」だ。縄文時代に入ってからは、焼く・蒸すの他に「煮る」調理法が加わったそうだ。食材は四季毎の旬のものを用いていたろう、とも書いてある。
 この記事を読み終わって、ふと考えた事がある。
「今の日本の旬のものって何だ?」
頭に色々な食材が浮かぶのだが、いつでも食べたい時に入手していたような気がしてきた。
(ジュニアサイエンティスト 第二〇巻 第六号/縄文人はとってもグルメ)


■泣きのツボ
本を読んで泣いたことはありますか?ベストセラーの中には涙が売りというものが少なくありませんよね。「感動した」「涙が止まらない」という周りの声に誘われて読んだという人も多いのではないでしょうか。
でも、みんなが泣けた(感動した)からと言って自分もそうとは限りませんよね。「え、どこが泣き所?」「感動はしたけど、言うほどでもない」という経験ありませんか?
みんなで同じ本を読んで感動して、そんなワンパターンを打ち破るべく、自分だけの“泣きのツボ”を探して、心に残る最高の一冊を見つけるコツとは何か、そんな記事が書かれています。
それぞれの生活環境や感情の違いによってツボのパターンはさまざま。
 これまで泣けた本を参考に、でも王道(貧乏、闘病、悲恋、親子関係、死、動物、子どもなど)と呼ばれる要素はなるべく外して、自分にビシッとはまるものを探す。
そしておもいっきり感動し、泣いてみたいという方はぜひ!
 涙を流すことはストレス解消にも良いらしい(涙セラピー)ですよ。 
ダ・ヴィンチ 13巻4号通巻144号/『出勤!トロ・リサーチ』)



■「いなくならない」
 こちらはゆうき図書館に最近入るようになった筑摩書房のPR誌です。詩人の谷川俊太郎さんによる、今年の二月十九日に亡くなられた、茨木のり子さんへの追悼詩「いなくならない」が掲載されています。
 茨木さんについては、親交のあったゆうき図書館名誉館長の新川和江さんが、「戦前のしがらみを一切もたない『戦後現代詩の長女』。新しい感受性がまぶしかった。切れ味がよく、言葉を新鮮によみがえらせる、まれに見る日本語の使い手で、人前に出ることが苦手なシャイな面もあった。亡くなられたことは大きな衝撃です 」(読売新聞二月二〇日より抜粋)とコメントしています。
 詩人が詩人に贈った追悼の詩。これは心に響きます。
(ちくま 通巻四二一号/「追悼・茨木のりこ いなくならない」)



岩波新書リニューアル
 一九三八年に創刊された岩波新書。青版・黄版・赤版と装丁を変えながら、現在までに二五〇〇点以上も刊行されている新書の草分けです。現在の「新赤版」が、この四月で千点を突破するので、それをきっかけに表紙のデザインがリニューアルされます。
 この記事は、文芸評論家の斎藤美奈子氏、東京大学教授の佐藤俊樹氏、評論家の永江朗氏が、それぞれの岩波新書の印象や記憶、そして今後の可能性について語った座談会です。
 「大往生」や「バカの壁」といった大ベストセラーのおかげで、岩波新書というと話題の本がよく出るシリーズというイメージが強いかもしれません。
 でも、過去七〇年近くにわたって、岩波新書はそのジャンルを学ぶための入門書として絶大な支持を得てきたということも忘れてはいけません。「論文の書き方」「知的生産の技術」「名画を見る目」「日本の思想」「社会科学の方法」などといった数々の名著は、多くの読者から長年にわたって高い評価を得つづけています。
 確かに、経済でも数学でも物理でも歴史でも、各分野第一級の知識人がわかりやすく持論を説くというスタイルから「これを読んでおけばとりあえずこのジャンルの基本はOK」みたいな気になる効果は大きいと思います。
 でも、本当に学ぶにはもっと多くの本を読むことが必要ですし、同じ岩波新書でも、著者によって同じ主題をまったく別の角度から書いていることもあるので、読み比べてみることも必要です。気になる分野の新書を片っ端から読んでみると、基本をおさえましたというだけではなく、もっと深くそのジャンルを知ることができると思います。
 この「図書」という雑誌は岩波書店のPR誌で、今回は新赤版のリニューアルにあわせて数多くの本が紹介されています。そちらの記事も含めて、今回の「図書」は特にオススメです。
(図書 通巻六八四号/「座談会 新書という可能性」)


■軽が売れている理由
昨年の自動車販売状況を伝える業界紙によると、売れ行き不振に悩む登車録とは対照的に、軽自動車は快進撃を続け、全国軽自動車協会連合会が発表した2005年度の新車販売台数は、6年ぶりに過去最高を更新するなど好調に売れているそうです。そんな中、「そろそろ車を買い換えようかな」「次の車は軽自動車にしようかな」と考えている人にお勧めの記事です。
多くのユーザーに支持されている車は何か?昨年の軽自動車年間販売ランキング、車種それぞれの良いところ悪いところを徹底分析!軽自動車OEMをのぞく全26車種○×カタログ、さらに軽自動車に関する疑問質問をQ&A形式で分かりやすく説明。「軽自動車といえども、走りの質感の高いクルマが欲しいのですが・・・。」「女房がおもに使います。女性にも運転しやすい軽自動車はなんですか?」などの質問に、一般ユーザーの立場に立った評論が定評の専門家が丁寧に回答しています。
安い買い物ではない車選びに迷っている方、ぜひこの記事を参考にしてみては?
また、初代アルトワークスやホンダZなどの時代を彩った軽の名車たちも紹介されています。
ベストカー 29巻3号/「オール軽自動車品評会」)

 

■文学にみる妄想への対応
妄想とは、「現実にそぐわないにもかかわらず現実検討能力が障害されているためにそれと認識できず、現実に即したように改編することもできない“信念”」(「心理学辞典」/有斐閣)のことをいう。
 仲間内の何気ない雑談の中でも、現実にそぐわないことを少しオーバーな表現で「妄想だよ〜!」などと茶化す場面がある。医学的な定義を正しく理解しての使用かどうかは別として「妄想」という言葉が日常でも使われることは少なくない。
 さて前置きはここまで。雑誌「こころの科学」の今号の特集はずばり、「妄想」である。臨床心理学や精神医学といった各分野の専門家たちが「妄想」について執筆している。その中でも、高橋正雄氏(/精神医学)は、文学作品の登場人物の言動に精神医学的な検討を加え、その対応を評価しているので、大変興味深かった。
 妄想に対するすぐれた対応が描かれた文学として、氏が紹介する作品は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』とパール・バックの『母の肖像』、郭沫若の『歴史小品』の三作品である。
 「精神科医向精神薬もなかった時代に、人間はさまざまな工夫をしながら妄想を持つ人々と共存していた様子がうかがうことができる」と氏も述べているが、共通していることはいずれも作中の人物が、妄想患者に対し、機転をきかせた英知あふれる対応をしている点である。妄想に正面から反論することの無効性を学習し、ひとまず妄想を受け入れる姿勢を示している。
 作中で垣間見ることができる妄想患者への機転や適応力、受容は、なるほどと感心してしまうほど、大変参考になる。普段の何気ない生活上でも、機転の利いた行動や、その場、その場面に適した行動がとれるかというと、なかなか難しいのが現実である。
 やはり、文学作品から教わることは多い。
(こころの科学 通巻百二十六号/「文学にみる妄想への対応」)


■読んで楽しい 見ても楽しい
 雑貨や生活、お店の紹介、旅などをテーマにした「イラスト・エッセイ」本をよく見かける。その手の本は数多く出版されているが、今もっとも注目されている描き手の一人として、杉浦さやか氏と平澤まりこ氏は外せないだろう。なんと、そんな彼女たちの対談とそれぞれのアトリエをルポした内容まで掲載。色鉛筆の色彩のほんわか雰囲気が好きな方、または、イラスト・エッセイの創作現場に興味がある方はどうぞ。
お二人ともとってもお洒落さん。そんな両者が互いのアトリエを訪問し、イラストで紹介しているのだが、やはり捉える視点がエッセイストならではでおもしろい。(小物はこうだったとか、出されたお茶菓子を紹介するなど細部までしっかり!)
 私も、出かけた日はカメラだけでなく、色鉛筆を持参しようかと思う。その日あった出来事を絵日記にして残したら、きっと宝物になるのでは…?
また、アトリエ風景もセンスある小物使いやインテリアで、「さすが、芸術家!」といった感じである。インテリアや部屋作りに興味がある方も、手にとってみてはいかがだろうか。
(Illustration 通巻159号/「イラスト・エッセイブームの主役 杉浦さやかと平澤まりこ」)
 



■マドンナ&ジェーン・バーキン
自分に正直に生きている女性の代表、とも言えるお二人の記事を見つけました。まず最初は、二〇年以上も音楽シーンとファッションをリードしてきたマドンナの記事からです。
「服装を感情表現の道具にして、思っている事を伝えるのが好き」、と取材に対して答えているように、今までのプロモーションビデオやライブの衣装などは、その時毎の楽曲に合わせるだけではなく、彼女個人の考え方も反映されていた事が紹介されています。
 特に八〇年代から九〇年代前半にかけての、わざとらしいほどにスキャンダラスな表現をしていた時は、かなり非難をされていたのが印象に残っています。しかし、今になってみればそれも、彼女なりの生き方の主張のひとつだったとわかります。

 次にもう一人の女性ジェーン・バーキンですが、表面的なファッションだけを見ると、マドンナとは対照的にも見えます。でも、七〇年代のジェーンは、最先端のおしゃれを他の女優たちと競っていました。しかし、「これは私じゃない」とも思っていたそうです。 そして、「好きな格好をしよう、と決めてから自分に自信が持てるようになった」と当時の事を振り返り更に、「ファッションだけではなくどう生きるかも含めて、誰かと比べないで、自分らしくありのままでいる」ことが、美しく年を重ねる方法だと答えています。
この二人が多くのファンを魅了する要素のひとつは、「正直に生きる強さ」だと改めて感じました。そしてその「強さ」は、他人を傷つけるためではなく、正直に表現した自分に対する、他者からの非難も受け止める「強さ」ではないかと思います。
 他を寄せつけない偉大さではなく、全てを受け入れる寛大さ・・・それに多くの人が惹かれるのではないでしょうか。
ところで今年この二人は、再度音楽シーンで注目を浴びそうなので、多くのインタビューを受ける事になるでしょうから、もっと色々な事について話して欲しいと、今から期待してしまうのでした。
(装苑 60巻 第2号/衣装デザインの可能性「マドンナ ファッションの変遷」)
(クロワッサン 30巻 第7号/「いくつになってもお洒落が好き。」)